serial experiments lainを見ました。
たまに急に見たくなるアニメです。
でもいつも結局わけがわからないまま見終わってしまうという。
しかし今回は違いました。ネットのいろいろな考察とか解説をじっくり読んだ上で見ました。
ので、色々理解することができました。
理解してしまうと、lainちゃんがさらに愛おしく思えてきました。テンション上がり過ぎてシナリオ本ポチってしまった。
悲しいアニメなんですねこれ。悲しくて美しいアニメです。
人々の持つ集合的な無意識を少女の姿にして自我を持たせてしまうとは、なんて残酷なことをしやがるんだろうね。
結果的に僕は、中学生の女の子という『存在』が如何に尊いものであるか、ということを感じました。
最後まで健気に岩倉玲音という少女のことを想い続けたありすちゃんがいたからこそlainちゃんは救われたのだと思います。ありがとう。ありがとう。
「私は、私を知っている人の中にだけいるはずだけど、じゃあいまここでこうやって喋ってる私は何なの?あたしってだれ?」っていう最終回アバン(だったっけ?)のセリフ。
あれすごいですよね。結局、玲音ちゃんは玲音ちゃんってことなんだよ。ありすちゃんの言う通りなんだよ。
みんなの無意識の中に潜んでいて、ワイヤードとリアルワールドの壁を取り払う実行プログラムだったとしても、実態を持った「岩倉玲音」という存在は確実に存在したわけで。
ヒトとして形を持って存在するというのはそういう事なんだよ。そこにいる君はただの中学2年生の岩倉玲音ちゃんだよ。と僕は思いますた。
lain=色んなアニメで聴こえてくる声、岩倉玲音=実体を持った声の持ち主(声優さん)と無理やりこじつけて考えてみるのも面白いよね。面白くないか。
でも一度ラジオとかイベントでその声を持った女の人のパーソナルな部分を知ってしまうと、それまではそういう声をただ覚えていただけだったのが、その声の持ち主のことを好きになっちゃったりするよね。
急に話が変な方向に行ってすいませんでした。