ゴミ捨て場

命を大事にしな

2020/11/22 諏訪ななか 1st LIVE~My prologue~

このブログ、2020年の目標から一切記事が更新されてないの、11月まで記録しておくかと思えるほどの声優体験が一切なかったってことを意味しているよね。実際そういう1年だったわけだけども。


正直これまでに経験してた「好きな声優が1stライブをやる」という事実の重圧感みたいなのは一切なかった。もうぶっちゃけてしまうと、声優が人生の中心にいるって状態が終了した。普段からツイッター見てる人なら察すると思うけど。

「好きな声優」も消えたって言っていいかな。自分の中で「好きな声優」って死ぬほど重い言葉で、とてもじゃないけど今の自分に好きな声優いるかって言われたらいませんねとしか言いようがない。でも「応援したい人」っていうのはやっぱりいて、それがAqoursでありその中でも諏訪ななかさんはちょっと特別、って感じ。そういう存在になってました。ニュアンス伝わるかな?別にいいんだけど単なる記録だから。

悲しいこと言ったかな?でも自分みたいなのはこうあるべきなんだよ。それが世のため声優のため(今の自分を正当化してるみたいで見苦しい)。

声優が人生の中心にあるってことと好きな声優がいるってことは同じことのように思えるかもしれないけど、一応そこは違うと思っているということは書いておく。どこで誰が見てるかわからんし。前者が後者に対する必要条件って感じだと思ってます。


開演前。

ほんとに気軽な気持ちで渋谷に来て気軽な気持ちで開演時間を待ってたって感じだった。ただ、入場したらコロナ対策で座席が一席ごとに空いていて(左右だけじゃなくて前後も)、割とまばらな感じがあって、客の少なさ(席の埋まって無さ)がどことなく6年前くらいの内田真礼さんのリリイベの名古屋のゲーマーズ枠の座席ガラッガラでこじんまりとしていてでもそのこじんまり感からくるなんとなくなアットホーム感みたいなのを思い出してしまってなぜここでお前が出てくるとなった。

開演待ち時間はずっとアルバム曲流れててそれにあわせてみんな棒振ったりしてた。なんかこういうのみて、「あー声優のワンマンライブ見に来たんだなー、ここって声優のライブ会場なんだなー」っていうのをぼんやりと感じてた。なんだかんだ俺ここにいるんだなーみたいな。本当に久しぶりだったからなんか不思議な感覚だった。


開演中。

流石に、今の自分といえども、流石に、1曲目のイントロは「個人名義デビューした声優の1stライブが始まろうとしている」という圧を感じてしまって、自然とちゃんと見届けるぞ、今すごく大切な場面を目にしているぞ、姿勢を正せ、みたいな意識が生まれてた。流石に。

でも全体通して普通にリラックスして楽しめたと思う。汗もかいたくらいは体も動かせた。曲が無難に盛り上がれる曲が多いっていうのもある。声優のワンマンライブってなんだかんだ物語性絡んで個人個人で色々とあるものだけど、結局楽しいのが一番だと思う。楽しかったです。昼も夜も参加したけどどっちも最初から最後まで。

MCで「時期的に、状況的にかなり今日ギリギリで開催できたけど、1stライブだから、最近よくあるオンラインライブじゃなくてどうしてちゃんと集まってやりたかった」ということを言っていて、夜の部のMCでは更に付け加えて「現地とオンラインどっちもやるっていう手もあったけどここに来た人たちだけに届けたいと思った」と言っていて、まじでこれは、そうだな。正しいことを言っているな。そう言ってくれて俺も嬉しいよ。って思った。配信なくて良かったなって思った。良かったっていうか偉い?こんな事言うとあれだけど。多分円盤化も無いんじゃないかな?っていうか今更声優の言動にいちいち共感したり賛同したり(賛同するということは自分の意にそぐわなければ反対したりも)すんのかよって今振り返ってて思った。変わらないんだろうねこういうところって。

演出面は正直かなり簡素になっていて、ステージ上のオブジェクトも最低限、というか基本何も置かれてなくて(流石にただの裸のステージじゃなくてライブコンセプトをイメージした装飾はちゃんとなされているけど)、中央に丸いステージがあるだけ?という感じ。ショコラフレーズのときだけ一瞬ベンチが出てきたりしただけだったと思う。後ろにスクリーンもあったけどそこまで凝った映像演出は無くてカメラ写してるだけの時間も長かった。後はトリで紙吹雪散らしてただけかな。衣装も2種類のみ。

事実だけを言うと(自分の記憶が間違っていて事実じゃなかったらマジでごめん)批判してるみたいにしか見えないけど、自分はこれに対して精一杯感を感じてしまったと言うか、「状況が状況でやれることとしてはここまでだったけど、それでも1stライブやりてえんだ」っていうものを感じてしまって逆に心に響いてしまった。同情ではないつもりだけど、こういう状況下でたまたま自分の歌手デビューが重なってしまって、1stライブも(以前予定されてた1stライブなんかも中止になったりしつつも)なんとか開催までこぎつけてこうしてやれるだけのことをやっている姿っていうのを見ていると、やっぱりしっかり目に焼き付けなきゃなとか、今この瞬間って大切だよなとかっていうのは感じてしまった。まあこれが物語性ってやつよ。

あと1stライブっていうのもあって、1stライブ的な未完成感というか、いやまあ1stから超豪華な演出でバンドもいるようなライブやってるような声優がいるのはわかっているけど、1stらしさみたいなのも重ねて見てしまって、そういう意味でも良かったかなと思った。1stライブはこういうのでいいんだよって思ってしまう。完璧であろうとしなくていい。いや、完璧であろうという努力は当然してほしいけど結果ダメでもそれでいい。何様だって感じだけど。

基本的に本人の立ち振る舞いとかっていうのは、まあ経験値があれなのでかなり場馴れしてる感じというか、ガチの初ライブで歌詞飛びまくったりとかMCで不安吐露しまくったりとかいう人とはぜんぜん違う堂々としたパフォーマンスだった(つまりいつもどおり)ので、特にそこにコメントはないかな。一応一人でこういうライブやるのは初だから緊張してたとは言っていたけど。

自分の諏訪ななかさんのこれまでの楽曲への総合的な評価、ざっくり言ってしまうと「テストで高得点取りに行ってるような感じの方向性を感じる、それでも無難に受け入れられると思うけど、もっと冒険してみても良いんじゃないですかね?」な感じなんだけど、その中でもこの曲は光ってるなって思うのはいくつかあって、「ショコラフレーズ」「溶けるみたい」「Storytelling」「Lilac」あたりなんだけど、やっぱり生歌でこの辺の曲聴いたときはすごく良いな、って思った。歌唱力(って何?って感じだけど)と、歌声に感情乗ってる(ように聴こえる)かどうかっていうのは別の話だと思っていて、諏訪ななかさんのお歌、後者はいい感じだと思っていて(別に前者がダメだとも思っていないし今の歌唱の不安定感もファンになった大きな要因占めてる)、それが生歌ですごく感じられたと言うか。むしろ前者に限界があるからこそ感情が露出しやすいのかなとも感じる。そういうところはやっぱり魅力だよなと感じた。

バンドはなかったけど基本的に諏訪ななかさんの歌声の価値をかなり重視してたし今回参加してみた感想としてもまあ無くていいっちゃ良いかなと思った。むしろ世界観形成上扱いに困るんだとしたら別にカラオケでいいと思う。


久しぶりにライブに現地参戦したけど、やっぱりオンラインと現地じゃ何もかも違いますね。声優は生で、ライブはできるだけ近くで、っていう感覚を思い出した。やっぱり声優を直接視認するって特別な行為なんだよね、不思議だよね。宗教的体験ですよ。

こういう状況だから今後どうなるやらと元々不安はしていたけど(と思ってたら同じレーベルでラブライブ的な意味での後輩がデビュー告知されていたが)、やっぱり今後についてのアナウンスは特になかった。自分としてはやれることは微々たるものだけど今後もまともに活動が続くことを祈るしかない。今後もみんなほどではないけどまあ適当にファン活していければなと思います。

ていうか結局自分の今年の声優方面の記録ってこれだけになるんじゃないかな。まああるだけ良かったと思うことにするか。