ゴミ捨て場

命を大事にしな

僕の声優オタクとしての欠陥について

今日は僕の声優オタクとしての欠陥について説明したい。説明になってないかもしれないけど聴いてほしい。

僕はどうも好きな声優さんが変わっていくことを辛いと思ってしまう所があるようだ。

好きになった瞬間の声優が一番好きだと思ってしまうからだと思う。

僕は好きになった声優の歴史はできるだけ長く見ていたいし観測できなかった歴史に対しては大きなコンプレックスを抱えてしまう。

変わらない新人声優はいない。何かに変わっていく存在が新人声優であるとも言える。

以上のことよりこういうことが言える。

僕は青田買い厨であるにも関わらず好きになった新人声優が変わっていくことで苦しんでしまう。

これが僕の声優オタクとしての欠陥。

苦しむとわかっているのに新人声優を追いかけようとしてしまう。

新人声優といったが実はこれは新人声優かどうかに限った話ではない。

とにかく自分が好きになったきっかけの作品や、ラジオや、とにかくその時の声優。

その声優から差分が確認できるたびに苦しまされる。

矛盾したような行動をとっている。

そして懐古厨になる。愚かなオタクだと思う。

声優オタクとして好きな声優の歴史は可能ならばできるだけ最初から観測していたいという態度は間違っていないと思う。

なので声優が変わっていくことに苦しんでしまうこと、これこそが僕の声優オタクとしての真の欠陥なのだと思う。

どうやったらこの欠陥を修復できるのだろう。常に「今」の声優を好きで在り続ける声優オタクでありたい。

声優ファンとしても、というかファンとしてはまさしくこの資質こそが重要なのだと思う。僕は声優オタク以上に声優ファンとして向いていない。

それでもあの頃のあの声がどうしても輝いて見えてしまうのだからどうしようもない。

自分が好きになった時に聞いた声、自分への態度、自分に向けてくれた言葉、これらへの執着、これらを捨てきるしかないということになると思うのだけどそんなこと出来るのだろうか。正直一生出来る気がしない。

みんなどうあの頃の自分と、声優に折り合いをつけて声優を好きで居続けているのだろうか。

以上です。